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          横部沢・湯ノ沢・美女沢の岩魚   岩ノ目沢の岩魚   

横部沢の岩魚とヤマメ

 

国道341号線の田沢湖から玉川温泉に向かう途中に吊り橋の架かった新鳩ノ湯温泉がある。その温泉は玉川の中州にあるが、中州によって玉川の本流が分断された所に合流する沢が横部沢である。

平成5年の時期は5月末頃午後4時頃、吊り橋を渡って新鳩ノ湯温泉(当時一泊五千五百円)にチエックインした私達は(二人)、川幅1メートルのこの川に遊び半分に竿を入れたのだが、一時間たらずの間で二十数センチの岩魚が十本、一本は尺を超える岩魚であった。 驚きである。この横部沢の岩魚は放流ではない。完全にこの沢に居つき岩魚である。横部沢が本流に合流するのは玉川であり、本流の水質は強度の酸性で魚は生息できず、横部沢の岩魚は本流に下ることが出来ず、この距離の短い沢に居ついていたのである。

横部沢の岩魚は、本流へ下ることも出来ず、さりとて上流1キロには魚止めと思われる落ち込みがあり、距離の短い沢の居つき天然岩魚であることは間違いない。 岩魚と山女魚は大きいものから餌を補足する能力があり釣れるといわれている。居つきの天然岩魚をこの横部沢から補足して、生態系の維持の問題等で後ろめたい気もするが、この横部沢には、三年に一度の竿だしの自主規制をしている。

今回私のホームページで横部沢を公開していますが、このHPに記載している横部沢のページは、多くの人々に閲覧出来ないことを望みます。 このページを閲覧した人にお願いします。横部沢の数少ない居つき天然岩魚を守るための自主規制をお願いします。 (このPAGEのTOP)

 

湯ノ沢・美女沢 の岩魚とヤマメ

 

湯ノ沢への林道はない。新鳩ノ湯温泉の吊り橋をわたり中州を越えて、本流を渡川するしか方法がない。源流域のロープを使用してまでの渡川危険はないが、馬鹿長靴の渡川は流されれば馬鹿長靴に水が入り危険である。

地図を見ても湯ノ沢は玉川本流の合流点まで行程の短い小沢である。

横部沢の体験もある私は、この沢の入渓する機会を狙っていた。

しかし玉川の本流の水量は、私の二度に渡る機会を阻み、やっと三度目の訪れに機会を与えてくれた。

水量は渡川出来ると判断しても玉川の本流である。注意深く20分ほど時間をかけて渡りきって合流点で最初に竿を出した途端、一発で20センチ強の岩魚を上げた。

20センチ以下はリリースし、魚止めと思われる落ち込みで38センチの大物の居つき岩魚をゲットした。

それは玉川ダム完成直後であった。

玉川ダム完成後は、地図でご覧のように玉川河川敷にプレイパークから橋が架かっており徒歩で少し歩けば美女沢へも入渓可能である。ちなみに美女沢への入渓の実績は私にはないが、橋が出来たことで間違いなく入渓されていると思われる。駄目もとで一度は竿を出してみては如何?  (このPAGEのTOP)

横部沢・湯ノ沢・美女沢の岩魚とヤマメ

入渓情報

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私と新鳩ノ湯温泉

その温泉は玉川本流の中州にある。中州には吊り橋を渡って行く。吊り橋を渡りきった左側に高さ三メートルあまりの石碑が建っており、その石碑の中央に年の頃

なら40代の男の写真があった。

当時の新鳩ノ湯温泉は、70近くの腰の曲がったおばあちゃんが一人で切り盛りをして、石碑の写真の男性はおばあちゃんの旦那だったとのこと。旦那が温泉を掘り当てて夫婦二人で温泉をやっていたが、旦那は亡くなり、愛する旦那の石碑をたてて毎日その日の出来事を報告し、一人でがんばっているおばあちゃんに心

惹かれて、田沢湖にきたときはいつもこの温泉にお世話になっていた。

私達の食事の支度をして、おばあちゃんと共に食事をしていたが、自家発電でNHKしか映らない横線が入って映りの悪いテレビを見ながら、「食事の時のテレ

ビは一番楽しみ」といっていた。

自家発電は9時に停止する。ある夜秋田県地方が集中豪雨に見舞われ、玉川本流が増水して建物の建っている中州にも水が押し寄せていた。私達は危険を感

じて吊り橋を渡って避難しようとおばあちゃんに声をかけるとおばあちゃん言った。

「旦那の掘った温泉を捨てて逃げたすことは出来ない、私はここに残るからお客さんは避難して」と言って頑として避難しなかった。その後次第に水が引きはじめ大事に至らなかったが、おばあちゃんの言葉は私の心に衝撃を与えた。

それから数年後、久しぶりに新鳩ノ湯温泉に向かった。吊り橋の架け替え工事をしていた。その人に聞いた。

「おばあちゃんはお元気ですか?」

「去年亡くなりました」

との返事であった。

時は確実に流れていることを実感した。